五日市憲法草案の起草者である千葉卓三郎は、明治16(1883)年11月12日に結核のため死去しました。ペリー来航の前年に生まれ、明治前半の激動期を、学習活動、民権運動にと奔走した31年の生涯でした。
卓三郎は憲法草案を起草した明治14(1881)年以降、体調を崩していました。その時期に自らの思想を著作としてまとめる作業を進めています。
政治観についての著作『王道論』を明治15(1882)年秋に脱稿したあと、真の学問・知識とは何かというテーマを掲げて人生観を語る「読書無益論」の執筆にかかったのです。
本作は自序と第一篇総論で構成されています。
卓三郎はまず「序」の部分でこう言います。「宇宙や天地そのものが学ぶ場なのであるから、この社会で生きていくなかで、さまざまな出来事を体験していけば先人が残した教訓を自分のものにすることができる。学校で得られる知識は初歩的なものに過ぎない、職場でも家庭でも求道の心がけを忘れるなと呼びかけ、その取り組みによって得られるのが真の学問であり、知識である」と訴えます。
そして総論では、いくつもの学問に接しながらどれも究めることなく中途半端に終わっている者を「多芸漫修」「浪費懶惰(らんだ)ノ最トモ甚シキ者」と厳しく批判し、物事に向かう姿勢として「一業ヲ専修シ」、深く徹底することが大事であるという人生観を述べています。
「読書は無益である」という衝撃的な題名の意味は、漠然と学ぶだけではいくら多くの書物を読んでも何も得られない、というところにあるのです。
また、ここで批判されている「多芸漫修」する者とは、漢学、医学、皇学、ギリシャ正教、プロテスタントなどを学び、商業や教職などにかかわった、千葉卓三郎その人の姿ではないかと推察することができます。
生涯最後の著作に、決して自分のようになってはいけない、真の知識を得よというメッセージを後進に残したとも考えられるのです。
参考文献
『三多摩自由民権資料集 上巻』 色川大吉責任編集 大和書房 1979年
『明治の文化』 色川大吉 岩波書店 1970年
『自由民権に輝いた青春』 江井秀雄 草の根出版会 2002年