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三遊亭歌笑(さんゆうていかしょう)

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三遊亭歌笑(サンユウテイ カショウ) 1917-1950

生い立ち

本名は高水治男。
大正6年9月22日(大正5年の説あり)、東京都西多摩郡五日市町小中野(現:あきる野市小中野)に、玉糸製糸工場の次男として生まれる。工場は兄・照政が経営しており、治男は五日市高等小学校卒業後、手伝いをしながら五日市町青年学校の夜間に通った。

治男は当時からひょうきんなところがあって、いつも同級生や工場の女工を笑わせていたという。また、大変な読書家でもあった。極度の弱視で目が悪く、昭和11年の20歳の徴兵検査では丙種となる。

三遊亭歌笑

落語家へ

治男が落語家を志したきっかけは、ラジオで柳家金語楼を聞いたことによるという。そして、好きな落語で身を立てようと決意し、家出して一人歩いて上京する。柳家金語楼は縁者が五日市町戸倉に居たこともあり、治男は縁を頼って弟子入りを希望したともいわれるが、入門したのは、三代目三遊亭金馬であった。その後、金馬の内弟子のまま二代目三遊亭円歌の弟子になり、これを機に新作落語に転じ、治男は金平と名乗り前座での修行に励んでいる。

二ツ目に昇進して金馬の前名歌笑を襲名したが、昭和19年、28歳の頃、戦争が激しくなり丙種だった歌笑にも召集令状が届き、同年9月29日妻・二三子と急いで結婚式を挙げた。結婚式当日、散髪に行った歌笑がなかなか戻らないため探しに行くと、本屋で難しい小説を立ち読みしていたという逸話が残っている。式の翌日陸軍に入隊したが、目が極度に悪かったため短期間で除隊となった。

戦争が終わった昭和20年、自作の落語「純情詩集」を発表し、リズミカルな口調、新しいセンスで一躍人気者となる。高座は当時最高額で、一ヶ月に40日分もの仕事をし、三ヶ月先まで日程が埋まっていたという売れっ子ぶりであった。また、当時屈指の大劇場・日本劇場や国際劇場を、一人で一杯にした落語家は、後にも先にもいないとも言われている。昭和22年10月(9月とも)、人気絶頂の時に真打ちに昇進。「音楽風呂」「わが生い立ちの記」「豚の夫婦」など現代的な落語を発案・発表した。

しかし、人気絶頂の昭和25年5月30日、雑誌「夫婦生活」のため大宅壮一氏との対談を終え、急ぎ足で銀座の通りを渡ろうとして、米軍のジープにはねられる。33歳、即死であった。墓地は、あきる野市五日市の玉林寺にある。

顕彰碑

昭和38年、歌笑をモデルにした映画「東映『おかしな奴』渥美清主演」が封切られた記念に、千住・浄閑寺に「歌笑塚」が建てられた。また生家のあった屋敷地内には、歌笑役を演じた渥美清の筆による記念碑が建てられている。 

参考文献

書名著者名出版年出版者
こんな落語家(はなしか)がいた 小島貞二 平成15年 うなぎ書房
秋川流域人物伝 著者:中村正
編集:西の風新聞社
平成7年  
落語裏ばなし 著者:橘右近 昭和50年 実業之日本社
落語長屋の知恵 矢野誠一 昭和61年 有限会社青蛙房
無冠の華 もりたなるお 平成8年 株式会社講談社

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