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南洋一郎(みなみよういちろう)

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南洋一郎(ミナミ ヨウイチロウ) 1893-1980

生い立ち

別名:池田宣政(いけだ のぶまさ)。本名は、池田宜政(よしまさ)。
明治26年(1893)1月21日、東京府西多摩郡東秋留村字野辺331番地(現:あきる野市野辺 八雲神社付近)に、父・成政、母・シカの六男として生まれる。

父は、元越後長岡藩の重臣であったが、官軍に破れ、東秋留村普門寺の住職を頼ってこの地に移り住んだ。役場の書記となり、傍らで小さな薬屋も営んだが、生活は苦しかったという。宜政は、1歳のとき大火傷を負い、母シカの必死の看病で一命を取りとめる。「野口英世」を初め、伝記の多くに母の愛と献身の姿が見られるのは、そのためと言われている。

南洋一郎

明治31年満5歳で東秋留村小学校小野分校へ入学。高等科4年の時、雑誌「幼年号」に「僕の希望」を投稿し三等に入選する。明治38年3月、東秋留尋常高等小学校(現:あきる野市立東秋留小学校)を卒業し、校長の紹介で1年ほど小石川の商家へ住み込んだが、体調を崩して帰郷する。

教員生活と作家活動

明治40年、14歳の時宜政は再び上京し、働きながら三田の正則英語学校の夜学に通う。
明治43年、青山師範学校に入学し、大正2年20歳で卒業。麻布・牛込等の小学校に奉職する傍ら、フランス語とラテン語を学習する。大正13年31歳の時、語学力がかわれて、デンマークのコペンハーゲンの郊外で開かれたボーイスカウト世界大会に派遣員として出席。翌々年、この時のことを題材とした作品、「懐しき丁抹(デンマーク)の少年」を雑誌に投稿し掲載される。この作品が作家としてデビュー作となる。

これ以降、宜政は24年間小学校教員を勤める傍ら、愛と冒険の精神をもとに旺盛な作家活動を続け、少年少女向き読物を書き続ける。昭和45年、家族の手によって編まれた『喜寿』には、「東秋留の思い出」「忘れえぬことば」「どう生きようか」等のエッセイが収録されており、そこには、故郷での少年時代が、生き生きと描き出されている。昭和55年(1980)7月14日、87歳でその生涯の幕を閉じる。

南洋一郎(池田宣政)作品

デビュー作「懐しき丁抹の少年」(大正15年)を初め、「形見の万年筆」(昭和3年)・『リンカーン物語』(昭和5年)・『父と子』(昭和8年)・『野口英世』(昭和9年)・『フランダースの犬』(昭和11年)・『ああ無情』(昭和12年)等の感動物語、また、『吼える密林』(昭和8年)・『緑の無人島』(昭和13年)・『ロビンソン漂流記』(昭和13年)・『バルーバの冒険』(昭和23年~26年)等の密林・海洋冒険物語。

更に、永遠のベストセラーとして、今日まで読み継がれている『怪盗ルパン全集』等、生涯に刊行した著作は、数百冊にのぼる。上野の国立国会図書館国際子ども図書館には、池田宣政(南 洋一郎)コレクションが設けられている。 

参考文献

書名著者名出版年出版者
短編随筆集「喜寿」 池田宣政 昭和45年 自費出版
少年小説大系第六巻「南洋一郎・池田宣政集」 編集:二上洋一 昭和63年 三一書房
少年小説大系第二十巻「南洋一郎集」 編集:二上洋一 平成4年  三一書房
しだれ桜 池田陽子 平成2年 池田企画
南洋一郎と挿し絵画家展 編集:弥生美術館 平成16年 弥生美術館

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